メガネのサカイ(酒井時計店)

福島県石川郡石川町下泉165  電話 0247-26-2716  毎週火曜定休 営業時間 通常9時~6時30分 日祝日 9時~6時  国家検定資格「眼鏡作製技能士1級」在籍  Nikonレンズウェアパートナーショップ

2021年05月


今日の石川町 晴れ
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先日T様にお求め頂きました OAKLEY HOLBROOK(オークリーホルブルック)

OX8156-0656 ポリッシュドブラック/クリアフェイド 56サイズ

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トゥルーグレー35%FCにライトゴールドミラーをセレクト。

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T様ありがとうございました。 (健)


https://www.instagram.com/meganenosakai/

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今日の石川町 晴れ
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先日T様にお求め頂きました レイバン ORX5184 5799 52サイズ です。

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グロウオレンジ25%FCにライトゴールドミラーをセレクト。

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T様ありがとうございました。 (健)


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「自分の体力を試してみたいんだ」

全てはこの言葉から始まった。

 購読している福島民報の記事に檜原湖ファミリーサイクリング大会(以下大会)出場者募集の記事があった。一郎九十二歳の春のことであった。一郎はテレビを見る、本を読むなどじっとしている行為が苦手なため畑仕事や庭掃除など常に体を動かしていた。そんな性格のため高齢者とは思えない体力があるのと、生来の体の丈夫さもあり、九十二歳とは思えないくらい元気に日々を過ごしていた。大会は桧原湖の左回りコース約三十二㎞を三時間半以内に完走するルールである。毎日一時間以上自転車で運動している一郎が興味が湧くのは必然かもしれない。孫の健太郎と共に出場を決めた一郎は大会当日スタートゲートを前に胸を高鳴らせていた。

「パンッ」

スタートのピストルが鳴った。一郎最大の挑戦が幕を開けたのだった。コース前半を快調に駆け抜けた一郎であったが、後半の長い上り坂に体力を奪われ正念場を迎えていた。歯を食い縛り必死に自転車のペダルを漕ぐ。

「年齢なんてただの数字」

背後から見ていた孫の健太郎は、一郎がこの言葉を体現していると思った。見事、制限時間内に完走し、一郎は最年長参加者として表彰された。年齢が公表され会場がどよめいたのは言うまでもない。翌年も完走し、二年連続で最年長参加賞を受賞。翌々年は三連覇を狙ったが脱水症状により途中棄権。その後は練習中に転倒し大腿骨を骨折。自転車どころか歩くこともできなくなったのであった。

 それでも、九十七歳になった一郎は孫の健太郎の結婚式に出席していた。ずっと気に掛けていた孫の結婚。一郎は涙した。それから二ヶ月後、一郎は息を引きとり天寿を全うする。若い頃は苦労の連続であったが、同年代の多くが若くして戦死した中、この歳まで生きた一郎は幸せだったと思う。(完)


※ 2021年5月21日折込のチラシに掲載した記事です。


「もうダメだ、死ぬかもしれない…」

 一郎は極寒の地シベリアで二十四歳の誕生日を迎えた。一郎は大正十一年お菓子屋の長男として生まれる。十三歳で子供のいなかった叔父の家に養子になる。時計屋の後継者としてだ。二十一歳の時に徴兵され満州の陸軍航空隊に配属。終戦と同時にソ連の捕虜となり、極寒のシベリアの地で炭鉱堀や森林伐採など過酷な労働を強いられていた。二十代の若者でも根をあげるくらい過酷な日々に一郎は精も根も尽き果て、いよいよ死が脳裏をよぎり始めていた。一説によると約七十万人がソ連に捕虜として移送隔離され、厳寒の環境下で満足な食事や休養も与えられず苛烈な労働を強要され約六万人が死亡したといわれる。

「日本に帰りたい…家族に会いたい…」

そんな絶望の中、収容所内にあるパン工場の定員に空きがでたことで一郎に声がかかる。一郎が選ばれた理由は日々の労働で手を抜かずに真面目に作業していたこと、それが上司の目にとまり採用に至ったのだ。結果的に労働環境が良いパン工場に異動できたことで難を逃れ、四年後の帰国が叶ったことになる。

「真面目に頑張っていれば誰かが見ていてくれる。」

これが後の一郎の糧となったのだ。

 帰国後妻の陽子と結婚し二人の子宝に恵まれる。時計屋と牛乳屋を両立し早朝から夜まで仕事に明け暮れた。平成五年に息子正喜に代替わりしてからは詩吟に旅行と余生を楽しんだ。そんな一郎も気づけば九十二歳の誕生日を迎えたのだった。  (続く)



※ 2021年3月26日折込のチラシに掲載した記事です。

今日の石川町 晴れ

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先日O様にお求め頂きました、ジョンレノン JL6015 ① 47サイズです。

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もはや説明する必要もないでしょう、世界的に大人気で音楽界のカリスマである、ジョンレノンが生前愛用した丸メガネをベースにデザインし発売したモデルです。
O様ありがとうございました。 (健)


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