「もうダメだ、死ぬかもしれない…」

 一郎は極寒の地シベリアで二十四歳の誕生日を迎えた。一郎は大正十一年お菓子屋の長男として生まれる。十三歳で子供のいなかった叔父の家に養子になる。時計屋の後継者としてだ。二十一歳の時に徴兵され満州の陸軍航空隊に配属。終戦と同時にソ連の捕虜となり、極寒のシベリアの地で炭鉱堀や森林伐採など過酷な労働を強いられていた。二十代の若者でも根をあげるくらい過酷な日々に一郎は精も根も尽き果て、いよいよ死が脳裏をよぎり始めていた。一説によると約七十万人がソ連に捕虜として移送隔離され、厳寒の環境下で満足な食事や休養も与えられず苛烈な労働を強要され約六万人が死亡したといわれる。

「日本に帰りたい…家族に会いたい…」

そんな絶望の中、収容所内にあるパン工場の定員に空きがでたことで一郎に声がかかる。一郎が選ばれた理由は日々の労働で手を抜かずに真面目に作業していたこと、それが上司の目にとまり採用に至ったのだ。結果的に労働環境が良いパン工場に異動できたことで難を逃れ、四年後の帰国が叶ったことになる。

「真面目に頑張っていれば誰かが見ていてくれる。」

これが後の一郎の糧となったのだ。

 帰国後妻の陽子と結婚し二人の子宝に恵まれる。時計屋と牛乳屋を両立し早朝から夜まで仕事に明け暮れた。平成五年に息子正喜に代替わりしてからは詩吟に旅行と余生を楽しんだ。そんな一郎も気づけば九十二歳の誕生日を迎えたのだった。  (続く)



※ 2021年3月26日折込のチラシに掲載した記事です。